第13回 『インド洋の十日間』


4月10〜20日
朝五時に起きて女房と一緒に成田空港に行って、日本航空のシンガポール便に乗る。
それにしても来る度に腹が立つのだが、こんなに都心から遠い所に、なぜ飛行場を造ったんだ。
余程、自民党の爺いと役人共が儲けたのに違いない。 俺の若い頃は、この辺りは大麻がボサボサ生えてたんだ。
遣う言葉がカタギだから、カタギの納税者はまんまと騙されてしまうのだが、自民党の議員と役人は皆、国民を餌食にして税金を盗むダニかサナダムシで、ヤクザやゴロツキなのだと、俺は不便な成田に行く度に同じことを言う。
二十年近く一緒に居て、同じ文句を三十回も聞かされているから、女房は顎を僅かに引いて頷くだけで、声を出して相槌は打ってくれない。
「自民党に限らず政治屋が皆、怪しくて胡散臭いのは、遣い方を知らない敬語や丁寧語を矢鱈と連発するからだ。たとえば人に会ったというのに“お会いした”なんて言うが、田舎者丸出しで耳にしたくない。同格もしくは目上の方に対しては、“お目にかかる、お目にかかって”というのが日本の丁寧語だ」
女房が顎を引く前に車の窓から警官が覗き込んで、パスポートを見せろと言う。
トランクを開けて中を形式的に覗いたのだが、高い人件費を遣って、こんなことが何の役に立つと言うんだ。
テロリストが車のトランクに、ダイナマイトや手榴弾を転がしてるわけが無いだろう。

そんな腹の立つことはともかく、俺たちはこれから世界一周航路のパシフィックビーナス号を、シンガポールで掴まえて、モルジブ経由アラブ首長国連邦のドバイまで十日間かけてインド洋を横断する。
俺たちは自慢じゃないけど、リッチで優雅な船客じゃない。バブルが弾けた時の傷が、まだオリックスに八桁もあるんだ。
俺たちは仕事で客船に乗って、インド洋の十日間で一時間の講演を三回やる。この季節のインド洋はとても穏やかで、まるで芦ノ湖でも走っているみたいで少しも揺れない。
津畑キャプテン、島崎一等航海士それに西丸ドクターと、去年リスボン〜ニューヨークを御一緒したオフィサーで、皆さんとてもナイスな方だから俺はラッキーなんだ。
イラクでドンパチ殺し合いが続いていて、サウジアラビアでも爆弾テロがあったというのに、パシフィックビーナスには二百人のお年寄りが、少しも不安そうではなくニコニコして楽しそうに乗っていらっしゃる。
凄い度胸だ、驚くべき勇気だと、俺は講演のマクラでお世辞を言った。
本音は船室でしか言わず、聴衆には躊躇いも何にもしないでお世辞を言うんだから、六十七歳を目前にしてオトナになったもんだと、ただただ苦笑する。
こんな小器用な所が俺の大成を阻んでいるのだが、今更悔やんでも遅過ぎてどうしようもない。

ヨルダンのアンマンからイラクのバグダッドに、タクシーで向かっていた日本人が三人、アラブゲリラに生け取りにされたと、船室にあるテレビでNHKの衛星放送がアルジャジーラの映像を映す。
人質にされたのはフリーのカメラマンと少年、もうひとりは農婦型のオバさんだ。
バグダッドに向かう街道にあるファルージャでは、アメリカ人が四人、焼き殺されて橋桁に曝されたのを怒って、アメリカ軍が猛攻撃をしていた最中だったのに、この三人は丸腰でホイホイ行ったのが俺には信じられない。
サマワの日本軍が三日以内にイラク国外に退去しなければ、三人を生きたまま焼き殺すというのだ。
俺と女房は北京ダックが好きで、時々喰べるのだが、アヒルだって生きたまま焼かれるのは見ていたくない。
この危機感が欠落した三人だって人間だ。
パシフィックビーナスは芦ノ湖みたいに穏やかなインド洋を、モルジブに向かって時速二十ノットで走り続けている。
人質は非道い目に遭わされているのではないかと、爺いの俺は知り過ぎているから心配で胸が痛む。
湾岸戦争を取材した集英社の、綽名がキャットという小柄な中年男は、塹壕の中でアラビヤ兵に散々にお尻の穴を犯されたと白状したんだ。
そんなおぞましいことは誰も想像もしないのだが、六十七歳になりかけている俺は、これまでの人生で非道いことを知り過ぎている。
日本人の肌は毛が生えてなくてツルツルスベスベしているので、キャットだってアラビヤ兵の劣情を刺激した。
十八だという少年の細くて白い襟足が、俺には悼ましく映った。

この旅の話は、まだまだドバイに着くまで何回にも分けて、根堀り葉堀り書く。


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