第12回 『六十七歳を目前にして、覚悟を決めた』


3月23日
二泊三日で長崎県の平戸に、「知謀の系譜」の取材……と、いうより最後の確認に俺はでかけた。
これをした後で、最終の仕上げにかかるつもりで俺はいるんだ。
古めかしい地味な小説だから、余り多くの人に読まれるとは思わないが、俺には、最善を尽くしたいという想いがある。
女房殿が快く送り出してくれたのが、当たり前だけど嬉しい。
何にしても、当たり前のことが行われない日本だからだ。
俺は女房殿が最近オリックスのローンを、一部繰り上げ返済したのを知っているから、手元の金が心細いだろうと察しが付いている。
何も知らないふうをしてるけど、俺にはみんなガラスなんだ。この二泊三日は惨めにならない程度に始末しなきゃ、この歳でバチが当たるに違いない。
マイレージがあったから、羽田〜長崎の飛行機代はロハだ。羽田までは中央線と山手線、それにモノレールを乗り継いで、千円たらずで済ます。
長崎空港のレンタカーで、予約しておいたカローラを運転して、平戸の西洋民宿まで約二時間半で走った。
松浦資料博物館を時間を掛けて見学。朝五時に起きたのだから、夕御飯を喰べるとすぐ眠くなる。


3月24日
丘に登って数時間、四方を見渡して想いに耽る。この地で松浦党と呼ばれた松浦一族は戦国時代と徳川三百年、そして明治維新と六万三千石を守りぬ いて伯爵にまで列したのだ。すさまじいほどの千年、三十代にも渉る知謀の系譜を,俺は現地で想う。
カローラで島の裏側に行きキリシタン資料館を訪ねたのだが、水曜日は休館だった。
民宿に戻ったら川上市会議員が温泉の無料入浴券をくれたので、平戸海上ホテルの凄い大浴場に入る。
壁面が水槽になっていて大きな鯛が何十尾も、俺の六連発を食べたそうに見るからタオルで隠した。


3月25日
何も助平なことはしなかったのに、風邪を引いた。熱は出ないが喉が痛くて声が出ない。慎重に運転して長崎空港まで戻り、何とか無事に阿佐ヶ谷の家まで戻る。 女房殿に満足な結果を感謝して寝酒を呑むうちに、気が付いたら寝ていた。


3月27日
平戸で引いた風邪が治り切らない内に、なんと下腹がチクチク痛くなって堪らない。 激痛ではないが、痛み続けるから不安になる。


3月28日
朝トイレに行ったら、便器の水が赤くなっている。下腹の痛みは昨日からずっとつづいていたから、ベッドに戻って俺は覚悟を決める。
判決公判の前みたいなことで、今までに何度かこんなことがあったのだが、とにかく歳が歳だから執行猶予とか法廷罰金なんていいことは、俺に限って期待できなから、真剣に覚悟を決めたのだ。癌に違いないと俺は確信していた。
とにかくこんなことは、丸六十六年の人生で一度も覚えがない。
それだったら、癌に違いないと思う。


3月30日
覚悟は出来たのだが一日我慢して、月に一度定期検査をお願いしている、主治医の大庭先生の日本医大に俺は女房と一緒に出かけて行った。
状態を説明して、取ってきた紙コップを見せると、大庭先生は触診もせず聴診器も当てずに、「アベさん、それは石だ石だ。医師じゃなくて石コロだ」と、ニコニコしておっしゃる。 ドンドン水分を取れば、出る大きさの結石なら自然に出るし、もし大き過ぎて出ない時はぶっ壊して出せばいいとおっしゃったのだから、同じ医大の教授でも、どうも「白い巨塔」とは違う。
日本医大では眉間に立て皺を寄せた、難しい顔をした教授は一人もいない。
大庭教授を初め、皆さんとても朗らかなのだ。
膀胱と腎盂管にある結石で、俺が覚悟した癌ではなかったのが目出度い。
家に帰って、覚悟が無駄だった俺は、水分をドンドン取るのだと言って、まだ明るかったのにビールを呑む。


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