第9回 『ミスくらげ』

2月14日
日経BP社の月刊誌「日経パソコン」が取材に来た。
俺の電脳爺い振りをどこかで聞き込んだらしい。
重い道具一式を担ぎ込んだカメラマンは、マンではなくて若くて素敵な娘さんだったので、自然に俺は穏やかで平和な人相になる。
日本相撲協会もこういう綺麗なカメラウーマンに撮ってもらえば、朝青龍もいくらかマシに映るんだ。
名刺をいただいて俺は、口が不覚にも開けっ放しになった。
普段、俺はもっとずっと重々しい顔をしている。
その美しい方の名刺には、「菊池くらげ」と刷ってあったんだ。
これは俺じゃなくて、どんな時でも何にも感じない感激や感動が欠落している川口順子外務大臣でも、仰天するに違いない。
読者は「また安部が、下手ですぐバレるような嘘をついて……」と、思うだろうが、これは本当の話だ。
疑り深い方は「日経パソコン」に電話すれば、さぞ迷惑だろうが教えてくれる。
名刺を睨んで目が点になった爺様に、可愛いくらげさんはニコニコして、「本名なんです」と、言ったのだから何ともチャーミングなのだ。
「ほら……」と、運転免許証を見せてくれて、菊池くらげさんは岩手県の出身だと言う。
言葉もないほど素晴らしい御両親だと、俺は心底感心する。
考えてみればくらげは、ナマコやタコとは違ってロマンティックなんだ。
娘にこのユニークで素敵なネーミングをした御両親を、俺は無条件に尊敬する。
小泉純一郎は国民栄誉賞を、くらげさんの御両親に差しあげろ。


2月15日
昨日、春一番が吹いて、今日はポカポカしたいいお天気だが、俺は朝から仕事部屋に籠もってパソコンをポツポツやっている。
新風舎、扶桑社、日本実業出版社、それにリイド社にPHP研究所と、前後して五冊ゲラが出たのだから、とても散歩になんか行けない。
俺はデイリースポーツの懲りない編集長だから、せめてタイガースのキャンプぐらいは見ておきたいのだが、今年の二月は例年になく忙しくて安芸まではとても見に行けない。
今日もネクタイを締めて船橋へ女房と一緒に出掛けて行く。
乗り換えもせずに阿佐ヶ谷から、週刊誌を読みながらたった一時間で着くのだから、六角橋や石和より船橋のほうが便利がよくて近い。
しかし、しっかり者の女房がなんとしたことか、切符を無くして船橋でベソをかく。
620円という運賃は、この騒ぎではっきり俺の前頭葉にインプットされた。
俺は変なことばかり覚えていて、肝腎なことはなぜか覚えない。
神島までのフェリーが鳥羽から片道710円なのは憶えていても、オリックスから借りてもう二十年も払い続けている住宅ローンの金利が、メチャクチャ高いことは知っているけど、正確に何パーセントか俺は知らないのだ。
こんな雑駁なことは自慢になんかならない。
故向井敏先生の奥様も、講演会場に来てくださる。 旧友の木村本治さんも息子さんと来てくれて、終わってから、軽くではなくてほんの一杯だけビールを一緒に呑む。
おない歳の木村さんは、旨いし身体に良いからと船橋の「焼き梅」をくれたのが、家に帰って喰べてみると、これが旨い。
瞬く間に十五粒も喰べてしまった。


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